チャンプの皮をかぶったこわっぱ ― 2006年08月05日 11時36分26秒
的屋・八百長・馬の骨
(国民宿舎はらぺこ 大浴場さま)からのtb。
例の亀田事件w関連です。論点は違うけど。
私は試合後半から観ていました。
前半戦にダウンを奪われていた事はその時知らず、後半戦に防戦一方になった亀田選手を見て、「こりゃ3-0負けだな」と思いました。
ボクシングの判定は素人の印象とは食い違う事が多いということですが、まさかの判定勝ちに、開口一番で「( ̄д ̄)ハァ?」ってな感じでした。
そして次の瞬間に頭に浮かんだ単語はもちろん「八百長」です。
まー、ボクシングに限らず微妙な判定と言うのはままあることですが(ボブ・デービッドソンとかw)、放送局が放送局だけにちょっと歪んだ見方になってしまいます。そういう印象を招いたのは単なる自業自得だともいっておきますが。
信頼はそう簡単には回復できない。
とはいえ、例え放送局の数字や興行元の利権の為の工作があろうとなかろうと、正式に新王者になったのはゆるぎない事実な訳で、判定についてあまりとやかく言う気はありませぬ。
ただね。
彼が王者に相応しいと思いますか?
各スポーツの頂点になった者と言うのは、実力もさることながらその人間性も評価されます。
日本ではスポーツが教育の一環と言う意識が根強く、それ故そのスポーツの頂点に立つものには、それなりの品位と風格が備わっている事が、それなりに求められます。
何かを極める事は、「心技体」を極める事。
日本古来よりの精神性というのは、スポーツにおいても変わりません。
それを踏まえて考えますと、あのガキにそんな人間性があるとはとても思えず、どっちかというとダメな方です。
テレビ出演における横柄な態度、対戦選手への頭の悪い挑発行為、それを返されて逆ギレする厚顔無恥な態度、ましてや19歳にもなって敬語を使う事を知らない。
幼稚園児かお前は。
厳しく辛い日々の練習を耐えて世界戦に挑むようになった事については、素直に賞賛できます。
が、その毎日の練習でお前は何を学んできたんだと問いたい。
こればっかりは親の責任と言うのが大きいので、彼だけを責める訳にはいきませんが。
チャンピオンたるもの、実力と人間性。この2つが両立していなければ、書類上はチャンピオンでも、みんなが認めてはくれない。
(某漫画では「チャンピオン」と「キング」という言葉で使い分けていましたが)
それを例のyahoo投票が如実に反映していると思わざるを得ません。
あの試合は亀田選手の勝ちだが、あの勝負はランダエタ選手の勝ちだ。
これはスポーツに限らず、一般社会においても言えることです。
有名大学出身という肩書きは、周囲の期待もそれなりに大きい。しかし中身が伴っていないとその落差たるや。勉強だけではだめで、人間性も含めて優れていないと、妬みパワーもあいまって叩かれまくりです。
長澤まさみの制服姿が萌えるドラゴン桜では「東大に入れば人生バラ色」という件が何べんも出ますが、実際はそうでもないです。
高貴なレッテル(=チャンピオンという肩書き)が貼られている事は、それに見合うだけの内容が要求される。
それを満たさない場合は、周囲の落胆は一層大きくなる。逆も然り。
このダイナミクスを考えないと、自分の実力相応以上の飾りを纏って自滅してしまう事になるのです。
DUCATI 999Rでエンスト立ちゴケとかされたときのガッカリ度を考えると分かりやすいでしょうか。
分かんないね。
正味の話、あのチンピラをヒーローにしようとするテレビ局が何考えてんだかさっぱり分からないのです。
強いだけではヒーローになれない。
それとも情報操作でどうにでもなるとでも思っていたのでしょうか。
彼自身の人間性の低さは自身の責任ですが、そういうアホな偶像を演じさせられていると言う点では、同情の余地があります。
真性だったらもう知らん。
王座を返上するとか何とかはどうでもよく、今後は真人間を目指して心技体を鍛えなおしてもらいましょう。
それが先人たちの築いた聖域を汚した事に対する贖罪です。
あー、あと次男。
これ以上HOUND DOGを歌うなボケ!
例の亀田事件w関連です。論点は違うけど。
私は試合後半から観ていました。
前半戦にダウンを奪われていた事はその時知らず、後半戦に防戦一方になった亀田選手を見て、「こりゃ3-0負けだな」と思いました。
ボクシングの判定は素人の印象とは食い違う事が多いということですが、まさかの判定勝ちに、開口一番で「( ̄д ̄)ハァ?」ってな感じでした。
そして次の瞬間に頭に浮かんだ単語はもちろん「八百長」です。
まー、ボクシングに限らず微妙な判定と言うのはままあることですが(ボブ・デービッドソンとかw)、放送局が放送局だけにちょっと歪んだ見方になってしまいます。そういう印象を招いたのは単なる自業自得だともいっておきますが。
信頼はそう簡単には回復できない。
とはいえ、例え放送局の数字や興行元の利権の為の工作があろうとなかろうと、正式に新王者になったのはゆるぎない事実な訳で、判定についてあまりとやかく言う気はありませぬ。
ただね。
彼が王者に相応しいと思いますか?
各スポーツの頂点になった者と言うのは、実力もさることながらその人間性も評価されます。
日本ではスポーツが教育の一環と言う意識が根強く、それ故そのスポーツの頂点に立つものには、それなりの品位と風格が備わっている事が、それなりに求められます。
何かを極める事は、「心技体」を極める事。
日本古来よりの精神性というのは、スポーツにおいても変わりません。
それを踏まえて考えますと、あのガキにそんな人間性があるとはとても思えず、どっちかというとダメな方です。
テレビ出演における横柄な態度、対戦選手への頭の悪い挑発行為、それを返されて逆ギレする厚顔無恥な態度、ましてや19歳にもなって敬語を使う事を知らない。
幼稚園児かお前は。
厳しく辛い日々の練習を耐えて世界戦に挑むようになった事については、素直に賞賛できます。
が、その毎日の練習でお前は何を学んできたんだと問いたい。
こればっかりは親の責任と言うのが大きいので、彼だけを責める訳にはいきませんが。
チャンピオンたるもの、実力と人間性。この2つが両立していなければ、書類上はチャンピオンでも、みんなが認めてはくれない。
(某漫画では「チャンピオン」と「キング」という言葉で使い分けていましたが)
それを例のyahoo投票が如実に反映していると思わざるを得ません。
あの試合は亀田選手の勝ちだが、あの勝負はランダエタ選手の勝ちだ。
これはスポーツに限らず、一般社会においても言えることです。
有名大学出身という肩書きは、周囲の期待もそれなりに大きい。しかし中身が伴っていないとその落差たるや。勉強だけではだめで、人間性も含めて優れていないと、妬みパワーもあいまって叩かれまくりです。
高貴なレッテル(=チャンピオンという肩書き)が貼られている事は、それに見合うだけの内容が要求される。
それを満たさない場合は、周囲の落胆は一層大きくなる。逆も然り。
このダイナミクスを考えないと、自分の実力相応以上の飾りを纏って自滅してしまう事になるのです。
DUCATI 999Rでエンスト立ちゴケとかされたときのガッカリ度を考えると分かりやすいでしょうか。
分かんないね。
正味の話、あのチンピラをヒーローにしようとするテレビ局が何考えてんだかさっぱり分からないのです。
強いだけではヒーローになれない。
それとも情報操作でどうにでもなるとでも思っていたのでしょうか。
彼自身の人間性の低さは自身の責任ですが、そういうアホな偶像を演じさせられていると言う点では、同情の余地があります。
真性だったらもう知らん。
王座を返上するとか何とかはどうでもよく、今後は真人間を目指して心技体を鍛えなおしてもらいましょう。
それが先人たちの築いた聖域を汚した事に対する贖罪です。
あー、あと次男。
これ以上HOUND DOGを歌うなボケ!
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