BLOOD2006年06月05日 13時32分27秒

ディーヴァ×小夜
とある宗教団体では、とある教義により、輸血を禁じている。
このことは社会的にも問題になり、今なおその宗教団体もろとも論争の種になっている。
本blogでは、とある宗教団体に対するむやみやたらな批判は行うつもりは無いが、係争のトピックである輸血については触れざるを得ない。



まず、とある宗教団体が引き起こした輸血拒否問題について。

宗教上の理由により、”輸血と言う医療行為”を一切拒否している。
このため医療行為において輸血が出来ず、それが原因かどうかは不明であるが患者が死亡するケースがあった。
これが当人だけならともかく、その子供にまで教義を押し付けてしまったがために、人権問題ともなっている。

とある宗教によれば、血は命であり、他の血を飲食したり体に取り入れることはよろしくないとしている。
そのため血抜きしてない肉を食べる事はダメで、輸血に関しては全血・赤血球・白血球・血小板・血漿はアウトらしい。
しかし、免疫グロブリンや血友病治療のための血液製剤は個人で判断すべし、自己輸血については血液保存はアウトだが手術中の血液回収はまあ良し、血液透析や人工心肺はOK。
ざっと考えると、血液由来において2段階以上分画操作を行えばギリギリセーフ、自己血は空気に触れないかオペ中にすぐ回収するならいいらしい。難しい・・・
血の滴るステーキはアウト。魚は活け締めに限る。食通か!(タカトシ風に)。

この辺については、教義を否定するつもりは毛頭ありません。宗教と食事は仏教においても大いに関連するところだし。
そして重要なのが、輸血だけを拒否するのであって医療行為そのものは拒否していない、と言う事。

彼らとて命は惜しい、しかし輸血だけは避けたい、何とかならんか、と言うのが本音だろう。



こと輸血については、宗教上だけではなく医学上も問題が多い
とある宗教のオフィシャルでも輸血の危険性について延々述べられている。教義の正当性を主張するためのプロパガンダとも感じられるが、嘘は言っていないので問題はない。

血液に関して大問題となったのは、記憶から薄れてしまいそうだが被害者は今も苦しみ続けている薬害エイズ問題だ。
これは血液製剤という形態ではあるが、血液由来である点は輸血と同じだ。
そして、血液を体内に入れるということは、抗原抗体反応異物の脅威に晒される事は間違いない。
血液には赤血球の抗原タイプが種々あり、それらが適合しないと溶血、凝固など致命的な症状が起こる。
また、血液ドナーの感染症や、採血時のコンタミによって病原菌が血液に混入する事もある。それが元で薬害エイズ事件は起こったし、渡辺謙氏がC型肝炎ウィルスに感染してしまった。
人間の血液というのは、いってみれば個人情報で、それを他の人と混ぜると言う事はやはり異質な事をしている。

確かに輸血と言う医療行為は、それなりにハイリスクである。
それは、抗原抗体反応がクロスマッチテストでどこまで回避できるか、ドナー健康状態由来の病原菌コンタミをどこまで回避できるか、科学において100%と言う言葉は使ってはならないものの、未だに高度な信頼性が担保されていないからだ。
例えばHIVは感染後3ヶ月程度経過しなければ抗体が出来ないので1次試験であるPA法(ゼラチン粒子凝集反応)やEIA法(酵素免疫測定法)では陰性となるし、HIV本体の検出法であるウエスタンブロット法において陰性となったとしても、感染力が無いとは結論付けられない。また仮に輸血血液が安全であったとしても、現場の人間による取り違えなどで間違った血液が輸血される可能性というのも、残念ながら否定できない。

つまり、出来れば輸血はしないに越した事は無い
あくまで緊急時で他の手段が無いケースに限り適応されるべきであるとは思うし、その点だけは賛成する。



とある宗教が輸血を拒否する以上は、仕方が無いから代替医療を考える。
幸いな事に、医学の進歩は輸血をしなくても済むような方法を見出している。

輸血が必要な場合はどういう場合か。
それはもちろん血液が大量に失われた時である。
この場合、血球成分喪失による酸素運搬能力の低下よりも何よりも、循環体液量低下による低血圧ショックが真っ先に考えられる。
そのため、取り合えず血液量を手っ取り早く増やすために、水分(生理食塩水やリンゲル液など)補給を行う。
血球成分は失われたままなので、簡単に言うと血液を水増するのだが、取りあえずはこれで良し。
健常人のヘモグロビン量はそこそこ余裕があるので、少しなら平気だろう(3倍希釈ぐらいが限度か?)。

慢性的に血が足らないと言う人には、造血剤を用いる。
腎臓から分泌されるタンパク質のエリスロポエチンが必要になるが、これは遺伝子組み換え技術でも生産され、医薬品として用いられている。
・・・輸血はダメでも遺伝子組み換えはOKなようだ。
また酸素運搬能力を肩代わりする医薬品も開発されてきているようで、なんとか輸血しないでも乗り切れるようにはなってきている。
もちろんこうした試みを実践するにはソフトハード両面の投資が必要であるが、それも患者のQOL向上のためだと思えば否定する理由は無いだろう。



このように、輸血については絶対的に必要なものではなく、代替方法が無い事は無い、といった感じだ。
通常の医療については、医療チームと患者がよく話し合った上で、ベストに最も近い方法を模索できる。

しかし、緊急時にはこのような事を言っていられなくなる。

交通事故、急激な出血を伴う疾病など、速やかに血液量を確保しなければならないケースはあるだろう。
そうしたときの対処こそが、問題になっている。
とある宗教においてはその辺の準備も抜かりは無く、「医療行為についての注意」を記載したカードを携帯しているので、意識が無くても輸血を拒否できる、と言うことだ。
カード方式はかなり有用なので、これは宗教問わずオススメしたい。緊急時にはかなり役に立つ。過去の疾病履歴や薬暦管理の重要ポイントは、身を守る上でも大切だからだ。
ここまで気を使っているのだから、仮に輸血をしなかったがために死亡したとしても、本人は満足なのだろう(これについては否定する権利も無いだろうが)。
また医療チームにおいても、輸血をしなかった事について法的責任を問われる事も無くなる。



医療の側から見れば、釈然としないだろうが。



係争の問題において、”本人”だけならば既に法的にもクリア出来ている。
問題なのは、子供と保護者の関係である。

子供が事故や病気で輸血がどうしても必要になった場合。
とある宗教の敬虔な信者である愛ある親は、宗教上の理由から子供の輸血を”保護者として”拒否し、結果子供が死亡した。
このケースかどうかは分からないが、とある宗教は子供の保護者による判断を容認している。
この点はいささか疑問である。

個人的な見解を言わせてもらうならば、宗教は個人的な思想であるべきだ
つまり、多種多様な宗教において信仰するのは自分自身である。他の人に言われてする事じゃないしそうあってはならない
自身の信仰心を高めて自己啓発するも良し、信念の赴くままに奉仕行動をするも良しである。個人の責任において
そういう信者が形成するコミュニティは、排他的かもしれないが受け入れられるだろう(教義がまともなら)。

信仰を他人(親兄弟親類縁者含む)に押し付けたりするから問題が生じる。

幸い日本と言う国は、信仰の自由が保障されている。つまり、信じるも信じないも”個人の”自由である。
それを強制するのはどうかしている。無理矢理に布教したり、信仰をやめたものに対して批判するべきではない。
ましてや宗教としての活動が公共の福祉に反するなど絶対あってはならない
この問題は種々の宗教が抱える問題であるが、是非とも円満な解決を望む。
我々は信仰の自由を保障された日本人なのだから。



宗教上の理由による輸血拒否と言うのは、実に根が深い。
医療チームとしては患者の要望を出来るだけ聞いてあげたいと思っている。むやみやたらに自分の理想を押し付ける事など無いし許されない。
・・・しかし、本当は医学的にベストを尽くして絶対に患者を救う、そうも考えている。
宗教家が信仰するのと同じぐらい強い想いで、患者を救いたいと思っている。
そう信じるし、そうあるべきだ。

何がしかの理由で輸血を拒否すると言う人。
そういう方はまず事故や病気に合わないように常日頃から厳重に注意なさってください。
そうすればそもそも輸血が必要な場面を減らせて、みんな円満です。
それでも不安なら高地トレーニングで赤血球を増やしておいてください。



以上、輸血問題について触れてみました。
多少言葉が荒っぽいところはご容赦ください。出来る限り歩み寄って考えて理解しようと努力しています故。

また、すべてのとある宗教の人が輸血を拒否するかと言うとそうでもないかも知れません。
「どーぞどーぞ輸血してくれちゃっていいですよ。命あってのモノダネじゃーん?」
という割と柔軟な人もいるでしょう(てゆーか実際いるw)。



最後に、K2で私の医療観を見事に代弁してくれた名セリフがあるので、アレンジして載せておきます。



命より重い思想など、俺は認めん!!!


コメント

_ なす ― 2006年06月07日 16時13分54秒

by TブーS
とかいってみるテスト。

宗教関係はついさっき草加関係のも見っけたんだが、結局するのは勝手だがどこまで自己を保てるかの問題なのかね。
輸血問題も然り。通常の判断機能を持っていれば子供のほうがかわいいはずなので。
ま、そういうやつらにとっては宗教に準じるほうが通常の判断なのかもしれないがw
どうにせよ、俺にはわからんことだな。。。

_ @DRK ― 2006年06月07日 17時48分12秒

第4期小夜テラモエスwwww

この問題は、前から自分の主張は一貫して同じで、「自分が死ぬのは止めないが他人巻き込むなや」です。
OHPじゃあ容認と言うか正当化しちゃってるけど、そこは許せぬ。

そもそも、いくら宗教だからってその土地や国のルールを無視していい、なんて免罪符は無い訳よ。
フランス現地の三ツ星レストランで箸を使うようなもんだ。法的にどうこうじゃなく、空気読めと。
これは全ての宗教に言えることだけどな。

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