2007年抱負2007年01月01日 09時30分48秒

あけましておめでとうございます。
今年も多分に偏った人にしか役に立たない記事を垂れ流すかと思いますので、よろしくお願いいたします。

一年の計は元旦にあり。
今年の抱負はこれしかありません。

「完治」


切実です。

あと再就職。。。

これからは予防医学が重要なのですよ2007年01月01日 12時44分07秒

新年早々のtb返しっ。

ソフトウェアの責任の所在 国民宿舎はらぺこ 大浴場 さま)からのtb。

まず最初に断っておくと、何も全ての責任をソフトウェア開発者に求めているわけではありません。
肉体的精神的に無理だし。。。

まず気になるのはここ。

主に受託開発の仕事に携わるソフトウェア開発者のおおくは、ソフトウェア開発は製造業ではなく、サービス業であるという認識を持っています。
つまりは自分らの仕事の結果は製造物には当たらないからPLが発生しない。保証が必要ならばそういう契約を最初から求めるべきだ、
なーんて邪推をするつもりはないけど。
「製造業=不特定多数への販売」と考えていて、それに対してサービス業だから顧客に対して密にサポートしていますよ、ということだろうか?
自分自身もそういうサポートの有難みは知っているし、その辺が十分にサポートされていることは理解しています。
ただ一つ言っておくと、どの業種でも顧客を意識して仕事をしています。それが製造業であっても。
もちろん自分も医薬品製造業に携わっていた時は、その事は初心として忘れないようにしていたつもり。
顧客を意識しないで仕事をする事は慢心や独り善がりの原因になる。

文面ではどうも「事後の賠償責任」を相当重点的に考えているようで(特に実際に問題となりそうなところ=自分の身に降りかかり得る揉め事ゆえに)、その辺PL法とか保証の責任とかに深く突っ込んでくれているのですが。。。
事後処理については別に気にしていません。
契約があるならペナルティが科せられるし、不特定多数向けのフリーソフトノケースでも、

一介の個人プログラマーが、趣味で配布しているプログラムを使用した結果、物理的・金銭的な損失が発生した場合で、且つその原因が 100% プログラム側にあった場合 (つまり、損失が回避不可能であった場合) であっても、プログラマーに賠償義務が発生すべきではありません。これは、裏を返せば、損失補てんを望むのであれば、誰とも知らない個人が趣味で作ったようなプログラムを利用すべきではない、ということです。このようなリテラシーは、まともな企業であればどこでも持っているものです。この前提は、崩すべきではありません。
という意見もあります。50%ぐらいは理解を示せますが。

問題なのは、その前段階。
被害が高確率で発生しうるソフトウェアの蔓延を防ぐための体制が整備されていない事が大問題だと思うわけです。
加えて言えば、ソフトウェア被害が起こった際に上手く対処が出来るのかと言う事も気になるのですが。
開発者だけに言ってもどうしようもない事ですが。。。

詰まるところ、今足りないのは予防的措置だと思うわけです。
それはシステム的な部分だけじゃなく、開発者に対する啓蒙活動など、包括的なものを指します。
被害の発生しうるソフトウェアを、作らない事。配布しない事。速やかに回収できる事など。
回収は事実上不可能ですが。。。
被害が出た後誰が責任持つか、なんてのは当事者だけでやってりゃいいわけで、そもそもの被害を出さないためにはどうするか、という事の方が重要だと思います。

法的にはまだ明文化も何も無いのですが、ソフトウェアの責任の所在に関する議論はさておき、出来る限りトラブルが起こらないようにするという努力義務はあるでしょう。単純なフリーソフトであってもね。
ソフトウェア開発における倫理観、というのも気になるところですが。
ソフトウェアの倫理と言うとどうしてもあっちの方を連想しがちですが、違います。
なお悪意のありそうなグレーなソフトウェアについて同軸で論じてはならない、という事ですが、被害の阻止を図らねばらなんと言う点では同じです。
そーいったヤバげな物は作るな、という倫理規定なりを議論すべきであると。
いずれにせよ、そういった被害の発生しうるソフトウェアを以下にして阻止するかと言う事は、どこかで十分議論したうえで体制作りをしていかなければならんと思います。


表現の自由の下に、余程のものでない限りソフトウェア開発は自由にすべきです。
しかし例え小さなプログラムでも、世に出すならばそれなりの責任を持って欲しいと思うわけです。
確かに怪しげなプログラムに手を出したやつが一番間抜けなのは間違い無いのですが、そう言ってられなくなる日が来るかもしれません。



ヘルプとかreadmeに関してですが、これは質問になってしまうけど、どのぐらい本腰入れて作っているのだろうか。

個人的見解ですが、本体(機械、器具、ソフトウェア)をしっかり作るのはもちろん、取扱説明書がそれと同じかそれ以上に大切です。
取扱説明書でなくても、その後のサポート体制ですね。
どんなに優れたものも、うまく使われなければクズに等しい。

私がソフトウェアについて求めるのは、この部分が非常に大きいです。
「説明責任」という言葉を使いましたが。

平たく言うと「大事な事は先に言ってね」という事です。
「先に」、です。

使用者が取扱説明書を全然読まずに起こすトラブル(よくあるが)は、十中八九ユーザーが悪いのですが、大切な事を分かりやすく使用者に提供できなかったメーカーにも多少の責任がある、
とユーザーは考えます。
それでクレームが付かない様に、大切な事は分かりやすく目に付きやすいように書く、足りなければ直接説明する。
免責事項は必ず読ませるようにしておく。
とか。
ソフト起動時にポップアップで無理矢理読ませるぐらいしてもいいんじゃないでしょうか?

ユーザー満足度の向上以上に、メーカーの自己防衛に直結する事ですので。
ソフトウェア開発者の方々には、是非ともヘルプの必要以上の充実をお願いします。
今まで満足なヘルプを見たことはありませんし。。。



あと一つだけ。

blogにプログラムの例などを記事として書いた場合に、それはどう扱うのか、という事が書かれていますが・・・どうなんでしょうね。
ソースコードと、コンパイラを通したプログラムと、どの段階でどう扱うのか。
私は素人なんでどうすればいいのかは分かりませんが。。。

単純な意見として、直接の作用を有する時点で「製品」として扱ってよいのではないかと思いますよ。
悪い例ですが、毒ガスサリンの構造式だったらいくら書いてもいいけど、実際に作ったらアウト、それと似たようなものじゃないかと。
しかし実際には、コンピュータウィルスのソースコードを公開していたら、公安にマークされそうな気もしますが。。。

そういったところも含めて、議論の余地ありですね。

つくづく思うのが、少なくとも日本におけるITは先進でもなんでもないし、倫理が技術に追いついていない事が顕著に見受けられる分野でもあります。
今後ITを発展させるのであれば、まずはその取扱のガイドラインを確立しなければ、今以上にカオスな分野になりそうです。

労働環境はすでにカオスというかコキュートスの模様ですがw

初詣はやっぱり行っておかないとねー2007年01月01日 17時20分46秒

足の痛みを我慢して、初詣に行ってきました。

今年は思うところがたくさんあるので、お賽銭はちょっとだけ奮発して500円でした。
硬貨の壁は越えられない。。。

500円分のお願いをしましたよ。
なんとか早く足が治りますように。
そして。
遷延治癒にしやがったあのヤブ病院に天罰を!!!

訴訟という名の天罰が下っている真っ最中のようですがね。
※私じゃないですよw

大きい病院がよいとも限りませんので、皆様ご注意くださいまし。

官に任せず、自ら。保身のために。2007年01月02日 18時40分34秒

官がソフトウェアの危険性を評価できるほど成熟していないのが問題?国民宿舎はらぺこ 大浴場さま)からのtb。

まず一つ目。危険なソフトウェア拡散防止についての議論ですが。
申し訳ないが具体策はありません。
もっと言うならば、ネットを介して有害ソフトウェアが拡散する事を防ぐ事です。
そもそもそんな事が出来るのかと言えば、多分出来ないんだろうとは思います。
だからこそ、そもそもそんなソフトウェアを作らないようにする為の努力が必要だと思うのです。
もっとも。
それはもう開発者自身のモラルに委ねるしかないのですが。
プロとして金をもらっている人ならば変なモノは作らないと思うしそう信じたいのですが、プログラム言語をかじった厨なんかだとイタズラ程度の認識で厄介なものを作ったりするかもしれないし、倫理観が歪んだクラッカーも数多くいるので・・・どうだろ。

前にも言った事の繰り返しですが、予防的措置こそが最も重要視すべき事です。
ソフトウェアの場合、一度被害が発生したら鎮火が困難だろうし。特にネットワークを介した被害は一気に広まる。
となれば、そもそもの火種をつぶす事が先決です。
官に出来ることは法整備ですね。有害なソフトウェアに対する規制を明文化して抑止力とする。

もちろん官による法規制には多分に問題が多く(議員のセンセイ方がこの手の話に詳しい事など有り得ないし)不安も募るのはわかります。
ただ、
多くの技術者はこうした道義的な問題に対して、官に主導権を握らせたくはないと思っています。論理的ではなく感情的な帰結で物事が動かされてしまうことが多いから。これは政・官の現場に技術方面の専門家を置くという前提であっても同じです。おいらとしては、技術者連合みたいな第三者機関を作ったうえで、政・官と対等に議論できる場が作られるのが望ましいのではないかと思います。
(強調は筆者による)
もうあらかた答えは出ている模様。

医薬品の場合、関係省庁は厚生労働省ですが、何も独断と偏見と既得権益の保守のために勝手に動いているわけではなく、省庁とは別の機関に諮問する事が法的に義務付けられていたりします。まあ独立行政法人なので同じ穴の狢かもしれませんが。
これを応用して考えると、技術者連合(メーカー主導?)がソフトウェア開発に関するガイドライン、とか銘打って、業界主導で倫理規定などを文書化して周知させ、既成事実を作ってしまうのが手っ取り早いと思います。
そうすれば、官はこれに乗っかる事が出来る。下手な法律があれこれ出来る前にやっちゃった方が良いのでは?
官僚もまっさらな状態からあれこれ動くよりもやりやすいだろうし。

さらに言えば、国際的な協力も今後必要でしょう。
ITに詳しい国、というとアメリカ、欧州、インド、イスラエル、韓国とか?
こういった国々の間でガイドラインを共有する事も一つの案です。
医薬品の場合は日米欧三極の合意がなされています(ICH)。



二つ目。ソフトウェア開発における自由と規制について。

技術に明るくない人間に言わせれば、Winny も WinMX も peer to peer のファイル共有ソフトであり、どっちも「危険なツール」という認識が一般的という現状で、彼らに啓蒙活動を任せれば、「ファイル共有ソフトなんて作っちゃいかん」になるわけです。で、禁止されて、技術の芽が潰されているうちに、海外のファイル共有サービスが躍進し、国際的に Google 並みに一般化し、それはそれで便利な世界が構築された中で、日本だけが置いてきぼりにされる。それこそ digital devide であり、IT の後進化を推し進める悪政ということになります。
50%は理解、というか納得。
50%というのは、「キモチはワカル」という印象だということです。

技術の進歩を取るか倫理を取るか。
これはどの業界でも議論されうる事でしょう。
例えばバイオテクノロジーの世界の場合。クローン技術も進歩して今や体細胞クローンも創生可能になってきている。人間のクローンを作って自我を消してしまえばこれ以上無い実験対象になる。医薬品創造も一気に早まるし科学技術は未曾有のブレイクスルーを体験する事になる。
しかし、どのバイオ研究機関においても倫理委員会の承認なしにはクローン研究をしないシステムになっているはず。そもそも完全なヒトの体細胞クローンなど許されるとは思えませんが(ましてモルモットにするなど)。
つまり規制。
完全に純然たる科学の視点から見れば、クローン研究をフリーにしてしまえば科学技術は一気に進化する。
しかし倫理はそれを許さない。
この場合、規制をどう見るか。という事です。

研究者としては自身の興味を満たすべく出来る限り自由に研究をしたい。
しかしそれが行き過ぎてしまえばマッドサイエンティストと呼ばれてしまう。
コンピュータウィルスにおいてもこういった考えから作り出している人もいるんじゃないかと邪推。

何かを作るときには規制というブレーキは絶対必要。
それがどんなブレーキでどのぐらいの効き目になるのかは分からないけど、現状のようにブレーキがぶっ壊れているかそもそもブレーキがないような状況と言うのは、明らかにヤバい。
ブレーキ無しで上手い事いい方向に向かってくれればよいのだけど、それは楽観的過ぎるでしょう。

なお、digital divideってのが起こるのは、各国でソフトウェアに関する共通認識が得られていないからじゃないかと。
そういう意味からでも、世界共通のガイドラインは、今後必要になってくると思います。



しかしまあ、つくづく思うのが、IT業界と言うのは厄介なものですわ。
そして誰でもITの技術の恩恵を受けられると言う素晴らしさの反面、誰でも創造に参加できるという素晴らしさと恐ろしさが背中合わせの世界。どんなに悪意のある人間でも、参加することを拒否できない。
そして一番のメリットでありデメリットであるのが、安い事。
PCがあれば何でも出来てしまう。素晴らしいソフトもコンピュータウィルスも。
そういった特殊な業界に倫理を持ち出す事は、もしかしたら意味が無いのだろうか、と不安になる。

ただ、いずれにせよ、どこまでがセーフで、どこからがアウトなのかというのは、実際に事件が起こってみないことにはなかなか分からない部分も多いんではないかという気もします。社会的に、情報処理、情報リテラシーに対する経験が浅いのです。だから、某社会学者風の言い方をするならば、今はまだ「軽い地獄を見る」時代。ひたすら経験を重ねながら、民度を醸成してゆくべきなのではないでしょうか。
民度、熟成されるといいなぁ。
今は軽い地獄で将来がホンマモンの地獄にならん事を願う。。。
それまでは現実問題として、ユーザーが自己防衛をしっかりするしかなさそうだ。



3つ目。ヘルプ。
言葉が足りなかったかもしれないけど、私が言う「ヘルプ」は取扱説明書全般ってニュアンスでした。分かりにくくてすまぬ。

こうした認識が、多くの技術者の間で一般的であるかどうかは、正直不明です。が、一般的であって欲しい、とも思います。ただ一方で、そういう部分の記述ばかりが賑やかになるために、結果として煩雑な内容になってしまい、かえって分かりにくいマニュアルになってしまう可能性も否めないので、その辺の情報の整理はセンスに委ねられるんだろうなぁとも思います (技術畑の人間にこのセンスが欠如しちゃっている人間は多いです、っていうかそもそもドキュメント執筆全般に対して苦手意識を抱いちゃっている人間は非常に多い。ブログやるだけでも結構鍛えられるもんなんだけどねw)。 (強調は筆者による)
偏見かもしれないけど、ソフトウェア開発者として専門性が強くなるほど、ヘルプとかを軽視してしまうのではないかと。
つまり、プログラム本体を優れたものにする事には全力を尽くすけど、それをユーザーにうまく使ってもらう事には大して重要性を感じていない、とか。
「分かる人だけ使えればいーよ」みたいな。
そうあって欲しくは無いのですが。。。

ソフトウェアだけじゃなく、以前使っていた分析機器ですが、そのほとんどはマニュアルがおざなりでした。複雑な機械であればあるほど。
どんなに優れた機械でもそれが正しく使われなければロクな結果は出てこない、と言う事を開発者というかメーカーは意識してくれているのだろうか。
もちろん考えてくれているとは思うけど、開発者がマニュアルを作ること自体がそもそも問題なんですよね。だって自分の中では当たり前でもユーザーが分からない事、という線引きが出来るわけが無いんだから。

マニュアルにある免責事項について。

Windows の使用許諾契約書 (EULA) は、Windows のインストール時か、または (プリインストールマシンであれば) 最初の起動時に必ず表示されるわけですが、あれにちゃんと目を通している人間ってどれくらいいるのでしょうか。
(略)
EULA って、常人にはなかなか理解し難い文面且つ長ったらしいものが多いような気がする。もちろん、内容に無駄があるから長いわけではなくて、様々な観点で契約について考慮した結果、ああいう文書になってしまうわけなんだろうけれども (良心的に考えるならば)、それならばインストール時とか契約時とかに一回だけみせるだけじゃなくて、いつでも再確認できるようにしておくとか、ヘルプにも吸い上げてより詳しい解説を添えるとかした方がいいんでないかなぁとは常々思っていたりもする。
はい、読んでませんw
というかあんなに長ったらしくて分かりにくい文章を、読む事を前提としている時点で間違っているし、MSの方でも読まない事を前提としているのでは?
マニュアルでもなんでもそうだけど、相手に説明しなければいけない文章において、相手がさっぱり分からないような文章であることは、致命的です。そしてそんな文章を書いておいて相手がわかっている事を前提としているのは愚の骨頂です。
個人的な文章、blogとかだったらなんぼでも構いませんけどね。
しばしば「説明責任」と言う言葉を使いましたが、これは確実に相手に理解させる責任、という意味合いが強いです。
相手に理解させないと後々トラブルの火種になることが目に見えているからです。
トラブルとまで言わなくても、ソフトの使い方が分からないとかで何度もサポセンに「わかんねーぞゴルァ」と電話するのはお互い無駄なコストで、出来れば避けたい事態であるわけですよ。
それ故、古川氏の意見というのはまさにユーザーが言いたいことを代弁してくれているわけです。
元社長がそんなこと言っちゃってよいのか、という点も含めてステキですwww

あとはここ。

サリンの場合、実際に作るには製法に関する知識や技術、それから機材や材料をそろえる必要があるわけで、素人が容易に製造できるわけではないでしょう。しかしプログラムの場合、コンパイラさえ入手できればプログラムを実行可能化することができる。
そう。
第2カラムの最後のほうでも書いたけど、ソフトウェアの場合、学生でも変える値段で、極めて危険なソフトウェアを作り出すことも可能であるという点。
それがメリットでもありデメリットでもある。
誰でも勝手に凶器を持ち出せるような世界なんですよ。そしてその持ち出しをとめることは出来ないし、持ち出した凶器を回収することも出来ない。
だからこそ他分野よりも余計にその武器の取り扱いに関する倫理観は成熟していなければならないはずなのに、現状では倫理が技術に追いついていない。
もし倫理観が確立していたとしても、一般書籍としてプログラムの学習が容易に出来るので、技術のみを学習して心構えを学ぶ機会が、教育機関以外はあまりなさそう。
教育機関でもそういったカリキュラムがあるかどうかは知らないけど。。。

技術ばかりが先行してしまっている現状は、非常にバランスが悪いと思うのです。
バランスを欠いたサイエンスの末路はロクなものにならないでしょう。



あれこれ書きましたが、ITはまだ発展途上なので、今後こういった議論がますます盛り上がる事を期待します。
倫理観やそれに伴うシステム作りにおいては、官がまともな方策を打ち出すとも思えないので、タイトルにあるように、当事者から自発的に湧き上がるのが望ましいかと。
それは開発者の権利を守るためにもベストだと思います。

便利なだけが車の性能なのか?2007年01月03日 00時18分43秒

景気に取り残される車、国内市場は07年も前年割れへ-競争力に危機も
(by Bloombergさま)

なぜ新車は売れないか?という問いかけに対して。
トヨタ自動車の一丸陽一郎専務は「薄型テレビや住宅などとの競合で、車を買う優先順位が下がっている。それに車本来が持つ、乗る楽しさや走る楽しさが少なくなったこともある」と反省する。
(強調は筆者による)

分かってるならなんとかしてよー!!!


正直、今のトヨタ車には何の魅力も感じません。レクサスも同じ事です。
トップメーカーが主導して自動車文化を潰しに掛かっているのだから仕方が無い。
何でこの平成の世に、ハチロクが未だ中古車市場で人気なのか、考えた方が良いのでは?

マツダの井巻久一社長は「正直言って分からない」と本音を漏らす。
これはちょっと同情します。。。
トヨタに比べてマツダは魅力ある車を造ろうと頑張っています。最近は面構えが似通っているのが難点ではありますが。
(デミオとプレマシーとアクセラは一瞬じゃ見分けがつかん。。。)
良くも悪くもマツダはマニアック心をくすぐる車を造っているので、逆に冒険が出来ない庶民には手が出しにくいかなぁ。

消費者は、買った車を長く乗りたいと思っているのです。当たり前ですが。
どうしても新車を売りたいなら、中古車買取を高値で行うしかないでしょう。
一度新車を買ってしまえば、その経費を取り戻すのに普通の人は長い時間を費やすのですから。

この車の消費サイクルは、メーカー主導で何とかしないと新車は売れないでしょうね。
もっとも新車で買いたいと思わせるような魅力ある車がどれほどあるのか疑問ですが。

ポロGTI、かっこいいよなぁ。コンセプトも素晴らしい。
今の日本車に足りないのは「じゃじゃ馬」ですよ。
ミドルサイズホットハッチ。これです。スバルは虎視眈々と狙っていますよ。