リハビリ日数制限、一先ずは緩和だがまだ不十分2007年03月13日 13時10分03秒

リハビリ日数制限の基準緩和へ 厚労省 (by 産経新聞さま)

医療保険が適用されるリハビリテーションに最大180日の日数制限が設けられている問題で、厚生労働省は12日、これまで長期リハビリが必要としていた51病種以外でも、医師が回復の見込みがあると判断したケースなどについて制限を超えて保険適用で利用できるよう制度を見直すことを決めた。厚生労働相の諮問機関・中央社会保険医療協議会(中医協)に諮問し、4月から基準緩和に踏み切る予定だ。
ようやく自分のしたことの過ちに気がついたか。
だがリハビリ休止期間の遅れを取り戻す時間もさらに掛かり、結局はそれこそ"無駄な医療費"が掛かる。
その事に気づくのにずいぶん時間が掛かったんじゃないか?

ともあれ、一先ずは前進したことは喜ぶべきだと思う。
もっともこれはあくまでスタート以前。発進以前にマシンのセットアップでミスった分を修復している段階。
ここから全廃を目指さないと。

リハビリは運動器の機能回復だけじゃなく、メンタルな部分にも影響が大きい。
それを打ち切ってしまうと精神衛生上にも問題が生じる。結果ますます体調は悪くなり、そこに新しい医療費が発生する。
という事も十分考えられる。
医療費をなんとか削減しようとする気持ちは分かるのだが、もう少しちゃんと考えないと結果は出ない。それこそ目先の金だけ考えていたのでは、むしろマイナス。

資金繰りのロジックだけを見て、人の心と言うものを見誤った結果がこれだ。
これは一種の医療事故だ。
到底認めるとは思っていないが、関係各所は不用意に患者の不安をあおった事を謝罪してもよいのではないか?

ものつくりの自由度2006年12月31日 08時57分48秒

Winny問題に絡んで、作者の金子氏に有罪判決が出た事は各地で衝撃的に報ぜられたわけですが。
そのWinnyに関わらず思うところがあったので書いておきます。
ただし、私はIT関連ののプロなんかではぜんぜんないし、法律論を捏ねられるほど詳しくも無い事だけはご了承ください。

突っ込もうかどうかちょっと迷ったけど国民宿舎はらぺこ 大浴場さま)からのtb。


まずWinny裁判の骨子を私なりに大雑把にまとめると、
「ソフト自体は悪くないけど作ったアンタの言動は問題があんのよ」
という、何とも煮え切らない判決理由。150万円の罰金刑となりました。

この判決理由については諸々の論理的な矛盾点が指摘され、特にソフトウェア開発者からみると非常に不満たらたらのご様子。
私は「本来であれば無罪であるはず。しかし世間を騒がせてしまったソフトを造ってしまったがゆえの見せしめの意味での罰金」という理解をしています。
無罪であるはず。
しかし実際問題として騒動になってしまったがゆえに、予防論的な措置として、已む無く罰金刑を科した、のではないかと考えています。
とはいえこれは裁判所の判断についての予想であり、原告側についてはそんな高尚な考えなど微塵もないだろうというひねくれた予想をしておりますが。単なる逆恨みの延長線じゃないのかと。

まあ裁判については各所で激論が交わされているようなので、ここではこれ以上触れません。



さてこの裁判における議論の最中、私が非常に気になった―――違和感を覚えた―――意見があります。

「ソフトウェア開発という表現の自由の侵害である」

ああ、なるほど。ソフトウェアはあくまで”表現”なのか。そうやって考えているのか。
全てのIT技術者がこう考えているかどうかは分かりませんが、確かにこういった意見もある模様。
しかしこの言葉には激しく違和感を感じるのでありますよ。

まず、「ソフトウェアは表現」というところです。
日本の法律においては、製造物はPL法の適用を受けます。しかし現在、ソフトウェアは製造物という扱いではなく、PL法の適用を受けないとの事。
もう一つは「ソフトウェア開発は自由である」ということ。

私は医薬品製造に携わった事があるので、そしてソフト開発なんてした事ないので言いますが、
ものつくりが自由なわけがない
と思うのですよ。
冗談半分に「同人の試薬とか医薬品とかあったらいやだなぁ」などといった事がありますが、まさにそれです。
化学物質や医薬品の製造においては、いろいろな法律の縛りを受けます。
機械や器具でも、製造に当たっては何がしかの法的制約を受けるでしょう。
それは、下手のものを造ったらとんでもない被害が発生する事が分かっているから、法律で予め予防しているわけです。

ではソフトウェアはどうなのかというと、同じ事です。下手なプログラムは壊滅的な被害をもたらします。バグの有無だけじゃなく、機能的な部分でも言える事です。
もちろん悪意の有無も問題にはなりますが、被害が発生する以上、それが予想される以上、法的な規制は当然行わなければならないと思っています。
現状ではそのような法律はありません。だからバグがあっても「仕様です」という言い訳でお咎めナシになってしまうのですが。


こういう事を書くとソフトウェア開発者から非難の嵐がくるような気もしますが、大事なことです。

現実問題としてソフトウェア開発者にそこまでの負担を増やす事は、肉体的精神的に無理だとは思っていますが、しかしソフトウェア開発という、潜在的な危険性を内包している行為を、無法のまま放逐していいとも思えません。
政府はもちろんのことソフトウェア開発者自身にも、こういったことを考えて欲しいと思います。



ここまでは開発者側への提言ですが、もちろん使用者にも、というか主に使用者の側にやるべき事はあります。
それは、どんなに完璧なソフトウェアでも使い方を間違えば被害は発生すると言う事です。

今回のWinnyのケース、細部を突付けば技術的な問題点も色々有る模様ですが、結局は使った側が一番悪い。
よく取りざたされる「包丁屋理論」(刺殺事件が起こったら包丁売ってる店を摘発するのかよ理論)も、単純なようで正鵠を得ています。
だからこそ何で金子氏を起訴したのか疑問に思うところであるし、nyで機密書類バラまいたアホな部下を教育する方が先じゃないのかよ、とも思うわけです。

ここで一つ問いたい。
自分も含めて、使用者は果たしてどのぐらい真面目に説明書(或いはreadme)を読んでいるか。
ちゃんと免責事項に目を通しているか。

こんな事を言い出すのは、「説明責任」というものがどう扱われているのかが気になるからです。
医薬品の場合は、病院の処方箋を元に調剤された場合は必ず薬剤師による服薬指導が行われますし、市販の風邪薬においても説明書きがあります。
医薬品というと中身の錠剤やら散剤の事だと思いがちですが、内容物のほかに包装、パッケージ、添付文書までひっくるめた上で「医薬品」と呼びます。
それは内容物がしっかりしていることは当然のこと、その用法が極めて重要であるからです。
ソフトの場合はどうでしょう。
ソフト自体が高性能でバグが無いことは着目されますが、ヘルプファイルの善し悪しについてそれほど重要視されているとは思えないのです。
もちろんソフト使用者がヘルプファイルを呼んでいるのかどうかも疑問ではありますが、開発者側もどこまで気合入れてヘルプを作っているのか。

詰まるところ、ソフトウェアは使用方法などの「説明責任」が、開発者使用者ともども軽視されている気がしてならないのです。

包丁は美味い料理を作れもするけど人を殺せもする。
医薬品は病気を治せもするけど悪化させもする。
ソフトは―――

自分も含めて、考えなければならないと思います。
それこそ開発者に対して失礼に当たると思います故。



最後に。

自分の畑で体にいいものを栽培して「効くよ」といってご近所に無償で配ったとして、それで健康被害が発生した時「良かれと思ってやったのに」なんて言い訳は通用しない。
堂々薬事法違反です。

その事をよーく考えてみて欲しいと切に願います。

道交法改正案へのパブリックコメント2006年12月29日 12時11分19秒

「道路交通法改正試案」に対する意見の募集について (by 警視庁

PDFファイル注意です

道路交通法が改正されると言う事で、何かとマイナスイメージの多い単語ではありますが、パブリックコメントを募集してます。
取りあえずPDFをざっと読んでみました。

今回の気になった改正点は「飲酒運転」「後部座席シートベルト」。

飲酒運転についてはさんざんニュースで取り上げられても止めようとしないボケ共はさっさと単独自爆しろとか思うのですが、罰則が強化されています。
具体的には

・罰金強化
・免許再取得の欠格期間延長(5年→10年)

といったところが気になります。
まあ、罰金の強化は当たり前ですが、欠格期間の存在は恥ずかしながら知りませんでした。
気になるのは期間よりも処分の方法です。
字面だけで判断すれば、10年経てば再取得が可能になります。もちろんその間に何がしかの違反があればリセットなりの措置が取られるのだと思いますが。
飲酒運転をするような連中が果たして10年で更生できるのか、疑問ではあります。
そこで一つの意見として挙げたいのが、飲酒運転は免許再取得の永久禁止
但し、一定期間の執行猶予付き。例えば10年。
このほうがより効果的だと思います。
本当ならば即時永久剥奪でもよいとは思いますが、多少の仏心は必要ですからね。


もう一つ。後部座席のシートベルトの義務化について。
衝突における危険性は何も前面だけじゃないし、後部座席からフロントガラスを突き破るケースも再三指摘されています。
今まで無かったのがむしろ不思議なぐらいです。
ただ後部座席のシートベルトについては、構造的な不安があります。
新しい車は後部座席でも3点式ですが、古いものは2点。そして2点式でどのぐらい安全性が確保できるのか。
また普通乗用車の多くは5人乗りですが、後部座席中央はシートベルトが2点式のものが多いのではないだろうか。
全ての車を見ているわけではないので何ともいえませんが、シートベルトの構造と安全性の相関を反映させて法改正に望んで欲しいかな、と思います。
車検の上では5人乗りでも実用上は4人ぐらいにした方が良いのかな・・・
すし詰めだと被害が拡大しそうだし。



改正試案の骨子は飲酒運転に大きなウエイトがありましたが、ちょっと気になった項目があります。

「聴覚障害者の運転免許に関する規定」
 
普通自動車運転免許の取得に当たっては、欠格事由として視覚障害、種々の理由による突発的な失神などがあります。聴覚障害も欠格事由に該当するそうです。
聴覚障害に関しては運転にさほど問題ないように考えそうですが、救急車の接近、踏み切りなど、耳に頼る事が必要です。まあ踏み切りは目でも確認できますけど。
これに対して、ワイドミラーなど耳の不自由を補うものがあれば免許取得できるようにする、という事です。
車内で音楽をガンガンに掛けていることは周りの音が聞こえないのと同じですから、運転に関して耳の不自由さは特に問題ないでしょう。というか周りが聞こえないほどの音量で音楽を聴くことも違反だった気がしますが。
基本的には賛成ですが、ミラーだけで対処するのはどうかな、と。
例えばオービスレーダーも最近は色々な機能が増え、救急車の接近などを知らせてくれるものもあります。
こういった機器を併用すれば、さらに安全性が確保できるかな、と思います。



ちょっと話は逸れますが、「免許の欠格事由」というのはなかなかに厄介だったりします。
運転免許の例では視聴覚障害や失神発作などが絶対的欠格事由(100%アウトな理由)です。
薬剤師免許では、視聴覚に加えて口がきけるかどうかも該当します。
これは服薬指導など患者さんとの会話が必要になるということから、そういった事由が設定されたのでしょう。
しかし以前、会話不能の方がこれを不服として申し立てを行った事があるそうな。
曰く「口がきけなくても患者とのコミュニケーションは可能である」との事。
確かに、口による会話以外でも、筆談、手話などのコミュニケーションツールはあります。
私自身も、別にそれは問題ないというかむしろ紙に書いた方が確実かなぁ、などと思ったりします。
この申し立ての行く末は分かりませんが、欠格事由というのもツールの進歩と共に変化しますから、法整備も常に刷新されるべきだと思います。

話が逸れたついでですが、視覚障害の方は、どうやって医薬品を服用しているのか、と疑問に思います。
誰か周りがフォローすれば良いのですが、一人のときなどは難しいでしょう。
医薬品のパッケージにおいて、視覚障害の方でも識別できるような工夫が今後求められるかな・・・



だいぶ話は逸れましたが、道交法については職業を問わずほとんどの人が関係する事ですので、その是非を検討する必要があるでしょう。
調べているうちに道交法の勉強にもなりますし。

姥捨て山と子捨てポスト2006年11月10日 00時03分03秒

全国初「赤ちゃんポスト」設置へ 熊本市の慈恵病院
(by 産経新聞さま)

微妙に話題が関連するので、 生けとし生けるものぶれーくだんすさま)にもtb飛ばしとこか。



事情があって親が育てられない新生児を受け入れる「赤ちゃんポスト」(通称・こうのとりのゆりかご)を、熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が年内にも設置する計画を進めていることが9日、分かった。ドイツですでに導入されているが、実現すれば国内初となる。

 同病院は「あくまでも緊急措置で、捨ててもらうのが目的ではない。新生児の産み捨てや、不幸な中絶を少しでも減らしたい」と説明している。
そう、あくまでこれは緊急措置、暫定措置であるという点を忘れてはいけない。

分かりやすく言い換えれば、何も考えてねーバカが赤ちゃんポイ捨てするから赤ちゃんの命を救うためしょうがなく設置したということ。
頭の悪い親の都合で作ったわけでは当然無い。

しかし、だ。
このような施設が出来ること自体は、状況が許さないがために致し方ないとは言え、歓迎すべきだと思う。
無計画さだけが理由とはならない。もっと深刻で、許すまじ原因によるものもあるだろう。
そのようなケースであれば、施設の利用動機としても、致し方ないのではないかと思う。

いずれにせよ、利用されること自体があまり望ましい事ではないのは確かだが。



さてこの施設であるが、設立自体は良いが、その運営方法については少々疑問符が付く。

計画によると、病院の窓を外部から開けられるようにした箱型の「ポスト」を設置。内部は保育器と同じ状態に保たれ、新生児が入れられるとナースステーションで警報が鳴る仕組み。 (略)  同病院の蓮田太二理事長(産婦人科)が平成16年にドイツを視察、「赤ちゃんを育てられないと悩む人が、匿名で預けるところがあれば」と、準備を進めてきた。ドイツにならい、ポスト内には考え直した親が子どもを引き取りに来た際の手続きを書いた紙なども入れるという。


匿名。

正直これはどうかと思う。
確かに子供を捨てに来る(敢えてこう書く)親からすれば、まともな人だったら後ろめたいと思うだろうし、DQNだったらウザいと思うだろう。
それに事情によっては自分の素性を明かされること自体に不安を感じる人もいるだろう。

しかしそうもいかない。親子関係のほぼ完全な喪失は問題が多い。
親子関係の発生は、法的には出生届の提出が基点となる(と思われる)ので、ポストに来ると言う事は当然そんな届出などしておらず、従って親子関係は法的には発生しない。
つまり、親子関係は全く存在せず、法的に赤の他人となる。
書類処理上だったらそれでいいかもしれないが、新生児の医療面から言えばそれはまずい
もしその子供が何がしかの病気・障害があったとしたら(それが原因で捨てる事も想定できるが)、その親の病歴などは子供の治療上重要なデータである。
その他、将来的な諸々の問題を考えると、完全な親子関係の喪失、というか親の手掛かりが無いのは非常に困るのである。
例えば骨髄移植や臓器移植を必要とするような疾病だとすれば、まずは生物学的な親を当たるのが近道である。

やはり、子供を捨てに来る親の情報と言うのは、全く取得しないわけにはいかない。
もちろんその情報は厳格に管理され、病院外の組織によって監査され、決して無闇な使われ方をしてはならない。流出など持っての他。
もしこのような情報が、滅多な事では表に出ないにしても”ある”ならば、已むに已まれぬ事情の際、子供がその親の元を尋ねる手掛かりにも出来る。それを封殺するのはいささか心苦しい。
それにDQNの親がウザがって捨てたと言うならば、その子供が親の顔面を変形するまでぶん殴る事の手助けにもなろう。



斯様な施設には、両手を挙げてというわけにはいかないが、設立は賛成する。

しかし、やはり根本の問題と言うのは無視できず、それに関しては

責任取れねーならハナから子供作んな!!

という、至って使い古されたような意見である。

命と言うものはその個体のもので、余程の事情、例えば死刑など特殊な例を除き、他人によってその火を消されることなどあってはならないし、その価値を決められるべきではない。
ましてその命を生み出すための性行為、国生みと言ってもいいが、快楽のためだけにあるのではない、という当たり前の事を忘れないようにしなければならない。
当人の本意であるかどうかが問題となるので断定ははばかられるが、この世に生まれた命と言うものは、その命を生み出した者が大切にしなければならない。
そういう責任があるのだと思う。

ペットや人間その他の多種多様な生物、命の有り様は色々だが、重さは同じ。
自分の都合や欲望で振り回していいほど軽くない。
日影なす氏と似たような意見だ。ペットと人間の差はあるが。
人命に限らず、あらゆる命は地球より重し。



冒頭の子捨てポスト。
設立自体は良いが、そもそもそんな施設が必要になること自体を恥じるべきではなかろうか?
それが無計画さゆえの傲慢にしろ、犯罪行為にしろ、已むに已まれぬ事情にせよ、そういった事態は根絶しなければ。

生まれてくる子供のために。

唖然。2006年11月09日 00時55分24秒

平成18年11月1日付事務次官定例記者会見概要

リハビリについては、今回の診療報酬改定が非常に制限的であるといういろいろな見方があるというのは聞いております。
(中略) 本当にこれは問題だというケースがどれほど出たのかどうかというのを私自身気にしておりましたが、今までのところ私のところには、そういう本当に懸念していたようなこと、あるいは懸念されていたようなことが起こっているという報告は来ておりません。いずれにせよ、本当に必要な方には必要なことがされるということでなくてはいけませんので、よくよくその実態というのを見てまいりたいと思います。

報告は来ておりません

報告は来ておりません

報告は来ておりません



なるほど。
厚生労働省的には44万人の署名は取るに足らないものだと言うことか。



金勘定の仕方より先に人の道を学んだ方が良いのでは?