官に任せず、自ら。保身のために。2007年01月02日 18時40分34秒

官がソフトウェアの危険性を評価できるほど成熟していないのが問題?国民宿舎はらぺこ 大浴場さま)からのtb。

まず一つ目。危険なソフトウェア拡散防止についての議論ですが。
申し訳ないが具体策はありません。
もっと言うならば、ネットを介して有害ソフトウェアが拡散する事を防ぐ事です。
そもそもそんな事が出来るのかと言えば、多分出来ないんだろうとは思います。
だからこそ、そもそもそんなソフトウェアを作らないようにする為の努力が必要だと思うのです。
もっとも。
それはもう開発者自身のモラルに委ねるしかないのですが。
プロとして金をもらっている人ならば変なモノは作らないと思うしそう信じたいのですが、プログラム言語をかじった厨なんかだとイタズラ程度の認識で厄介なものを作ったりするかもしれないし、倫理観が歪んだクラッカーも数多くいるので・・・どうだろ。

前にも言った事の繰り返しですが、予防的措置こそが最も重要視すべき事です。
ソフトウェアの場合、一度被害が発生したら鎮火が困難だろうし。特にネットワークを介した被害は一気に広まる。
となれば、そもそもの火種をつぶす事が先決です。
官に出来ることは法整備ですね。有害なソフトウェアに対する規制を明文化して抑止力とする。

もちろん官による法規制には多分に問題が多く(議員のセンセイ方がこの手の話に詳しい事など有り得ないし)不安も募るのはわかります。
ただ、
多くの技術者はこうした道義的な問題に対して、官に主導権を握らせたくはないと思っています。論理的ではなく感情的な帰結で物事が動かされてしまうことが多いから。これは政・官の現場に技術方面の専門家を置くという前提であっても同じです。おいらとしては、技術者連合みたいな第三者機関を作ったうえで、政・官と対等に議論できる場が作られるのが望ましいのではないかと思います。
(強調は筆者による)
もうあらかた答えは出ている模様。

医薬品の場合、関係省庁は厚生労働省ですが、何も独断と偏見と既得権益の保守のために勝手に動いているわけではなく、省庁とは別の機関に諮問する事が法的に義務付けられていたりします。まあ独立行政法人なので同じ穴の狢かもしれませんが。
これを応用して考えると、技術者連合(メーカー主導?)がソフトウェア開発に関するガイドライン、とか銘打って、業界主導で倫理規定などを文書化して周知させ、既成事実を作ってしまうのが手っ取り早いと思います。
そうすれば、官はこれに乗っかる事が出来る。下手な法律があれこれ出来る前にやっちゃった方が良いのでは?
官僚もまっさらな状態からあれこれ動くよりもやりやすいだろうし。

さらに言えば、国際的な協力も今後必要でしょう。
ITに詳しい国、というとアメリカ、欧州、インド、イスラエル、韓国とか?
こういった国々の間でガイドラインを共有する事も一つの案です。
医薬品の場合は日米欧三極の合意がなされています(ICH)。



二つ目。ソフトウェア開発における自由と規制について。

技術に明るくない人間に言わせれば、Winny も WinMX も peer to peer のファイル共有ソフトであり、どっちも「危険なツール」という認識が一般的という現状で、彼らに啓蒙活動を任せれば、「ファイル共有ソフトなんて作っちゃいかん」になるわけです。で、禁止されて、技術の芽が潰されているうちに、海外のファイル共有サービスが躍進し、国際的に Google 並みに一般化し、それはそれで便利な世界が構築された中で、日本だけが置いてきぼりにされる。それこそ digital devide であり、IT の後進化を推し進める悪政ということになります。
50%は理解、というか納得。
50%というのは、「キモチはワカル」という印象だということです。

技術の進歩を取るか倫理を取るか。
これはどの業界でも議論されうる事でしょう。
例えばバイオテクノロジーの世界の場合。クローン技術も進歩して今や体細胞クローンも創生可能になってきている。人間のクローンを作って自我を消してしまえばこれ以上無い実験対象になる。医薬品創造も一気に早まるし科学技術は未曾有のブレイクスルーを体験する事になる。
しかし、どのバイオ研究機関においても倫理委員会の承認なしにはクローン研究をしないシステムになっているはず。そもそも完全なヒトの体細胞クローンなど許されるとは思えませんが(ましてモルモットにするなど)。
つまり規制。
完全に純然たる科学の視点から見れば、クローン研究をフリーにしてしまえば科学技術は一気に進化する。
しかし倫理はそれを許さない。
この場合、規制をどう見るか。という事です。

研究者としては自身の興味を満たすべく出来る限り自由に研究をしたい。
しかしそれが行き過ぎてしまえばマッドサイエンティストと呼ばれてしまう。
コンピュータウィルスにおいてもこういった考えから作り出している人もいるんじゃないかと邪推。

何かを作るときには規制というブレーキは絶対必要。
それがどんなブレーキでどのぐらいの効き目になるのかは分からないけど、現状のようにブレーキがぶっ壊れているかそもそもブレーキがないような状況と言うのは、明らかにヤバい。
ブレーキ無しで上手い事いい方向に向かってくれればよいのだけど、それは楽観的過ぎるでしょう。

なお、digital divideってのが起こるのは、各国でソフトウェアに関する共通認識が得られていないからじゃないかと。
そういう意味からでも、世界共通のガイドラインは、今後必要になってくると思います。



しかしまあ、つくづく思うのが、IT業界と言うのは厄介なものですわ。
そして誰でもITの技術の恩恵を受けられると言う素晴らしさの反面、誰でも創造に参加できるという素晴らしさと恐ろしさが背中合わせの世界。どんなに悪意のある人間でも、参加することを拒否できない。
そして一番のメリットでありデメリットであるのが、安い事。
PCがあれば何でも出来てしまう。素晴らしいソフトもコンピュータウィルスも。
そういった特殊な業界に倫理を持ち出す事は、もしかしたら意味が無いのだろうか、と不安になる。

ただ、いずれにせよ、どこまでがセーフで、どこからがアウトなのかというのは、実際に事件が起こってみないことにはなかなか分からない部分も多いんではないかという気もします。社会的に、情報処理、情報リテラシーに対する経験が浅いのです。だから、某社会学者風の言い方をするならば、今はまだ「軽い地獄を見る」時代。ひたすら経験を重ねながら、民度を醸成してゆくべきなのではないでしょうか。
民度、熟成されるといいなぁ。
今は軽い地獄で将来がホンマモンの地獄にならん事を願う。。。
それまでは現実問題として、ユーザーが自己防衛をしっかりするしかなさそうだ。



3つ目。ヘルプ。
言葉が足りなかったかもしれないけど、私が言う「ヘルプ」は取扱説明書全般ってニュアンスでした。分かりにくくてすまぬ。

こうした認識が、多くの技術者の間で一般的であるかどうかは、正直不明です。が、一般的であって欲しい、とも思います。ただ一方で、そういう部分の記述ばかりが賑やかになるために、結果として煩雑な内容になってしまい、かえって分かりにくいマニュアルになってしまう可能性も否めないので、その辺の情報の整理はセンスに委ねられるんだろうなぁとも思います (技術畑の人間にこのセンスが欠如しちゃっている人間は多いです、っていうかそもそもドキュメント執筆全般に対して苦手意識を抱いちゃっている人間は非常に多い。ブログやるだけでも結構鍛えられるもんなんだけどねw)。 (強調は筆者による)
偏見かもしれないけど、ソフトウェア開発者として専門性が強くなるほど、ヘルプとかを軽視してしまうのではないかと。
つまり、プログラム本体を優れたものにする事には全力を尽くすけど、それをユーザーにうまく使ってもらう事には大して重要性を感じていない、とか。
「分かる人だけ使えればいーよ」みたいな。
そうあって欲しくは無いのですが。。。

ソフトウェアだけじゃなく、以前使っていた分析機器ですが、そのほとんどはマニュアルがおざなりでした。複雑な機械であればあるほど。
どんなに優れた機械でもそれが正しく使われなければロクな結果は出てこない、と言う事を開発者というかメーカーは意識してくれているのだろうか。
もちろん考えてくれているとは思うけど、開発者がマニュアルを作ること自体がそもそも問題なんですよね。だって自分の中では当たり前でもユーザーが分からない事、という線引きが出来るわけが無いんだから。

マニュアルにある免責事項について。

Windows の使用許諾契約書 (EULA) は、Windows のインストール時か、または (プリインストールマシンであれば) 最初の起動時に必ず表示されるわけですが、あれにちゃんと目を通している人間ってどれくらいいるのでしょうか。
(略)
EULA って、常人にはなかなか理解し難い文面且つ長ったらしいものが多いような気がする。もちろん、内容に無駄があるから長いわけではなくて、様々な観点で契約について考慮した結果、ああいう文書になってしまうわけなんだろうけれども (良心的に考えるならば)、それならばインストール時とか契約時とかに一回だけみせるだけじゃなくて、いつでも再確認できるようにしておくとか、ヘルプにも吸い上げてより詳しい解説を添えるとかした方がいいんでないかなぁとは常々思っていたりもする。
はい、読んでませんw
というかあんなに長ったらしくて分かりにくい文章を、読む事を前提としている時点で間違っているし、MSの方でも読まない事を前提としているのでは?
マニュアルでもなんでもそうだけど、相手に説明しなければいけない文章において、相手がさっぱり分からないような文章であることは、致命的です。そしてそんな文章を書いておいて相手がわかっている事を前提としているのは愚の骨頂です。
個人的な文章、blogとかだったらなんぼでも構いませんけどね。
しばしば「説明責任」と言う言葉を使いましたが、これは確実に相手に理解させる責任、という意味合いが強いです。
相手に理解させないと後々トラブルの火種になることが目に見えているからです。
トラブルとまで言わなくても、ソフトの使い方が分からないとかで何度もサポセンに「わかんねーぞゴルァ」と電話するのはお互い無駄なコストで、出来れば避けたい事態であるわけですよ。
それ故、古川氏の意見というのはまさにユーザーが言いたいことを代弁してくれているわけです。
元社長がそんなこと言っちゃってよいのか、という点も含めてステキですwww

あとはここ。

サリンの場合、実際に作るには製法に関する知識や技術、それから機材や材料をそろえる必要があるわけで、素人が容易に製造できるわけではないでしょう。しかしプログラムの場合、コンパイラさえ入手できればプログラムを実行可能化することができる。
そう。
第2カラムの最後のほうでも書いたけど、ソフトウェアの場合、学生でも変える値段で、極めて危険なソフトウェアを作り出すことも可能であるという点。
それがメリットでもありデメリットでもある。
誰でも勝手に凶器を持ち出せるような世界なんですよ。そしてその持ち出しをとめることは出来ないし、持ち出した凶器を回収することも出来ない。
だからこそ他分野よりも余計にその武器の取り扱いに関する倫理観は成熟していなければならないはずなのに、現状では倫理が技術に追いついていない。
もし倫理観が確立していたとしても、一般書籍としてプログラムの学習が容易に出来るので、技術のみを学習して心構えを学ぶ機会が、教育機関以外はあまりなさそう。
教育機関でもそういったカリキュラムがあるかどうかは知らないけど。。。

技術ばかりが先行してしまっている現状は、非常にバランスが悪いと思うのです。
バランスを欠いたサイエンスの末路はロクなものにならないでしょう。



あれこれ書きましたが、ITはまだ発展途上なので、今後こういった議論がますます盛り上がる事を期待します。
倫理観やそれに伴うシステム作りにおいては、官がまともな方策を打ち出すとも思えないので、タイトルにあるように、当事者から自発的に湧き上がるのが望ましいかと。
それは開発者の権利を守るためにもベストだと思います。