誇り高き日本人として2006年10月28日 00時32分28秒

たけしの誰でもピカソを観てましたら、シャネル代表取締役の方(名前忘れた)が出てました。
その方は日本びいき、というか日本マニアで、日本人よりも日本の文化に詳しい方です。

その人が日本で唯一悪いと思うことは、すぐに物を無くしてしまう事だそうです。
紛失ではなく、古き良き物を壊して新しいものに挿げ替えてしまう事、例えば家を建てるために日本家屋を壊してしまうとか、そういうことです。
確かに古き良き文化の喪失というのは、かねてより危惧されていることではありますが。

しかしなぜ、現代において文化の喪失がいとも簡単に行われてしまうのか。

それは、日本人が謙虚な民族性だからだと思います。
前面に出ない奥ゆかしさを美徳とする日本の精神性は、私は好きです。
しかし、現代においてその価値観が歪曲して伝わっている気がします。
というのも、昔の人は主張こそしないにせよ文化を誇っていたはず。
ところが現代では、謙虚なあまり悪いところばかりをクローズアップしてしまい、より良いものを目指そうとする。
現状に満足せず上を目指す事は素晴らしい事ですが、現状の価値を過小評価してしまう事は問題ですね。

謙虚なあまり、自国の文化を素晴らしいと思う事に抵抗がある。

今必要なのは、誇りです。
自国の文化を下らないなどと思っている国などありません。
胸を張って自国の文化を誇りに思えること、ひいては日本人であることをきちんと誇れることが大事なのではないでしょうか。
今、日本で文化の喪失が起こっているのも、自国文化に対する誇りが無く、その価値を見出せていないからです。

こういうこと書くと右寄りだとか何とか言われそうですが(保守ですが何か?)
右だろうが左だろうが、真人間ならば国の行く末を案じるものです。
それが出来ない人は不真面目です。

話がそれましたが、自分の国を誇ることは大切ですよ。
アル・カポーネの言った「咲く花は違えど根っこは同じだ」という言葉を極限までポジティブに解釈すれば、根っこがしっかりしてればどんな花も咲ける、って事です。
日本を飛び出して世界で活躍する人も、日本人という根っこがしっかりしているからこそ世界で花咲ける。
根っこが不安定だと花もしおれます。

昨今の厄介な問題も、日本人としての土台が不安定だから足元をすくわれたのではないかと思いますよ。
謙虚なことは良いのですが、卑屈になってはいけません。
過去も現在も未来も、全てひっくるめて受け止めた上で誇りを抱いていかなければならない、ある意味義務だと思います。
それが日本として、日本人としての責任の取り方じゃないかと思います。
ただただ謝って金出せばよいということじゃないですからね。

しかし誇りと同時に、日本人が本来持つ謙虚で優しい心も忘れないようにしたいものです。
友達が悪い事をしたら、毅然とした態度で間違いを正すことも、優しさの一つ、だけどね。