アブラハムには7人の子2006年07月28日 00時54分42秒

というフォークダンス(?)は主に小学校などでしばしば行われていました。
子門真人氏が昔にレコード盤で出されてもいたりして、ある種国民的な広がりであったのでしょうか。

この「アブラハムには7人の子」は、もともと外国の歌で、それを加藤孝広氏が日本語訳を当てたようです。
そもそもアブラハムってなんだろうかと調べてみると、旧約聖書に出てきた預言者アブラハムとその子(?)という事で、「一人はのっぽ」という詞のその人はイサクという嫡子だそうな。

こうしてみてみると広く国民に愛されてきた唱歌及びフォークダンスというものも原点を辿ると深遠な創世に関わるある種伝説的なもので旧約聖書の時代にまでその流れを汲む崇高な賛美歌とも言うべき愛すべきものでありまたその踊りも単なる教育や体力増進またレクリエーションの為の域を超え創世の預言者に対する畏敬の念を表現した神事に通ずる奉納の踊りとも言うべきものでありましてそのt
んなことはどうでもよくて。

アブラハムといえばその踊りが最大の特徴なわけですが、これはオフィシャルで決まっているようで、そのパターンは共通のものです。
簡単に言うと、右手、左手、右足、左足、頭、おしり、まわって、おしまい。

おそらく日本のどこの学校でもこのように教え、児童で楽しく踊っている事でしょう。
しかし。

この手のダンスを数多くこなしてきた私から言わせてもらえば。
まわって終わる奴は素人だ。
そんな生易しいレベルで終わらせるほどこのダンスは甘くない。

アブラハムなめんな。

私が教わったダンスは、この続きがある。
地域地方によって亜流が存在するが、その一端を紹介しておこう。



アブラハムには7人の子♪

一人はのっぽであとはちび♪

みーんななかよくくらしてる♪

さあおどりましょ♪

みぎーて (みぎーて)

ひだーりて (ひだーりて)

みぎーあし (みぎーあし)

ひだりーあし (ひだりーあし)

あーたま (あーたま)

おーしり (おーしり)

まわーって (まわーって)

しゃがーんで (しゃがーんで・・・?)

じゃーんぷっ! (じゃーんぷ・・・)

手拍子!

足拍子!

ジャンプしながらまわって!

空中で足拍子!



ちなみに最終段階から3周ぐらいしてからようやく終わる。
回転ジャンプは疲労がたまると着地があやしくなるので、そこをカバーするのがポイントだ。
端から見れば常軌を逸した動きではあるが、それがアブラハムの真髄だ。
このパターンはアブラハムスペシャルと呼ばれ恐れられていた。
みんなで楽しく、なんてレベルではない。
その動きや精神状態はシャーマンが神に祈りを捧げる時のそれに近いのではないだろうか。
アブラハムはトランスしてなんぼのものである。しかし笑顔は忘れてはならない。

終わった後の身体的精神的疲労は相当なものである。
特にしゃがんでジャンプ、という一連の行為はカエル跳びアッパーを延々続ける事と同義である。しかも最終段階では回転しながら足まで鳴らすのだからたまったものではない。
当時高校生だった私が息が上がったぐらいである。

たかがフォークダンスと侮るなかれ。
ダンスというのは全身運動であり、特にアブラハムはそれを強要している。
ただ、アブラハムの優れた点は、どこの段階でも止められると言うところだ。参加者の年齢や体力を考えてまわって終わっても良いし、好きな動きを思い思いに追加しても良い。
このような自由度はインテグラル型フォークダンス(※)の利点である。即ち参加者の状況をリアルタイムで判断し、ネガティブフィードバック出来ると言う事だ。

ダンスが進むにつれて既存或いは新たな動きが追加されていくものを指す筆者の造語

フォークダンスというのは、このように自在に運動量を増減でき、ダンスという形式から練習を強要するようなトゲトゲしさもなく、更には参加者同士のコミュニケーションの助けにもなる、優れた方法論であると思うわけです。
何年何十年もフォークダンスなんてやってない、という方は、是非一度昔を思い出してダンスに興じて欲しいと思います。

でも、アブラハムスペシャルは本当に疲れるのであまりお勧めはしません。

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